2011年7月9日土曜日

文字起こし  NHKスペシャル シリーズ原発危機  第2回 「広がる放射能汚染」

7月3日放送された、 NHKスペシャル シリーズ原発危機 第2回「広がる放射能汚染」 の文字起こしをしたものです。

東電の放射能汚染によって、子ども達が危機にさらされています。
福島、千葉、東京、神奈川、静岡。あらゆる所に、放射能汚染が広がっています。
学校が、研究者が、子ども達を住民達を守れるのか?
それに対して、国は何をやってるの?


今日7月9日に再放送が終わったので、 公開します。
今日の夜、第3回「徹底討論 どうする原発」があります。
さすがに、長時間で、討論なので、 文字起こしには時間がかかると思います。
→(追記) 第3回「徹底討論」は、掲載あきらめました。もし、期待していた方ごめんなさい。なにしろ時間がかかるので・・・・



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NHKスペシャル
シリーズ原発危機
第2回「広がる放射能汚染」


5月下旬、1台の車が福島第一原子力発電所の方向に走っていました。
原発のある大熊町の職員、石田仁さん。
防災担当として、避難中の町民と日々接しています。

【大熊町職員 石田仁】

「みんな帰れるのかな、帰れないのかなって。
今、町を捨てなきゃいけないのかな、それとも戻れるのかなって。
もう、みんなそれだけですから。考えていること…」


原発3キロ圏内の実態は、いまだ明らかになっていません。
そこで、専門家の協力を得て、町で独自の調査を行うことにしたのです。
大熊町に入ると、放射線量が急上昇していきました。


【東北大学理学部 小池武志 助教】

「車内で13(マイクロシーベルト毎時)。今、どんどん上がっています。
15…、20ですね。」


置き去りにされたペット、壊れたままの住宅や店舗。
1万1千人の住民が消えた町は、避難が始まった3月11日の姿のままでした。

途中、丘のむこうに見えた煙突。福島第一原発の排気塔です。
石田さんたちは、原発正門から300メートルの地点まで近づきました。


「180(マイクロシーベルト毎時)ですね。180」
「え~」
「最高ですね。今までの…」
「180。そんな高いの」
「えぇ」


1年間の被ばく許容限度を5時間あまりで超えてしまう値。危険を冒しての調査です。


「怖い気持ちとかないですか?」
「それはありますよ。知らなきゃ済むでしょ。
でも、それを知らなきゃ。本当のことはできないです。」


そして先週。
原発から至近距離の汚染実態が、初めて明らかになりました。


【金沢大学 山本正儀 教授】

「600万とか800万(ベクレル/㎡)。
148万をはるかに超える量でたまっています。」


チェルノブイリで、今も立ち入り禁止の基準とされている、148万ベクレル。
町のほぼ全域が、それを、はるかに超える汚染におかされていたのです。


「水、一番大事な水は、飲むことは出来ないんでしょうか?」
「水から土壌から全部取り除かないと、かなり厳しいのでしょうか?」
山本教授「このまま、ほうっとくと戻れない、という言い方は酷になるかもしれませんけど、非常に厳しいね。
厳しい…」


相次ぐ爆発が引き起こした、深刻な放射能汚染。
大量に放射性物質が放出されたのは2回。
この放出が引き起こした汚染の広がりが、明らかになってきました。

今、首都圏の各地で汚染の飛び地”ホットスポット”が次々と見つかっています。
影響はどこまで広がっているのか。
最新の調査報告です。


第2回 広がる放射能汚染


【キャスター 岩本裕】

「東京電力福島第一原子力発電所の事故は、日本の姿を変えました。
放射能、つまり、放射性物質による汚染は、避難を強いられた地域はもちろん、遠く関東や東海地方にまで広がりました。
放射性物質は、環境を汚染し続けています。
今、問題になっている、セシウム137は、半減期が30年、ということは、そこから出る放射線は30年経っても、ようやく半分にしかなりません。
私たちはこれから、放射性物質が身近にある世界で暮らしていかなくては、ならなくなったのです。

放射能汚染は、どこまで広がっているのか。
立ち向かうには、何が必要なのか。
今日は、事故のあった現場周辺から出発し、100キロ圏内、そして、その外へ向かって、順番に汚染の広がりを検証しながら考えていきます。

原発から、およそ100キロ圏内の放射能汚染を示した地図です。
冒頭のVTRでご覧いただいた大熊町では、原発のすぐそばの放射線が、年間に換算すると1000ミリシーベルト。
一度に浴びれば、人体に深刻な影響がでる値です。
赤は年間100ミリ、黄色は年間20ミリ。
この範囲は国が避難を求めている区域です。
対象となっているのは、8万5千人にのぼります。
そして、その外側、緑から水色の区域は年間1ミリシーベルトを超える地域です。

では、これらの地域で暮らすと、体に影響はあるのでしょうか。
一生のうち合わせて100ミリシーベルトの放射線を浴びると、がんで死亡するリスクが0.5%増えることが分かっています。
しかし、今の科学では、それ以下の場合、健康にどんな影響があるのか、よく分かっていません。
分からないのなら、少しでも浴びる量を減らすほうがいいというのが、現在の考え方です。
その結果、国際的な基準では1年間の許容限度を、1年間に1ミリシーベルトにしているのです。
許容限度の1ミリシーベルトから、避難を求められる基準の20ミリシーベルトまでの、この地域の人口は、少なくとも150万人。
その多くが今もここで暮らしざる負えません。
そして、なかでも心配されているのが、放射線の影響を受けやすいとされている、子どもたちです。
福島市のある小学校を取材しました。」


【福島市立渡利小学校】

誰が子どもたちを放射線から守るのか、厳しい選択を迫られている地域があります。
福島市渡利地区。
放射線量は、平常時の許容限度を大きく上回ります。

この学校では、放射線を避けるため、子どもたちが窮屈な学校生活を強いられています。
ほぼ全ての授業が校舎の中で行われているのです。


女の子「本当だったら、やっぱり、みんなが校庭で遊んでる様子とか、木とかを描きたかったです。」

窓は昼休みも閉め切ったまま。
蒸し暑い教室で、汗だくで遊んでいます。
原発事故以降、学校は、子どもたちを校庭に出すのか、出さないのか、大きく揺れ動いてきました。

校庭は放射性物質で汚染され、1日2時間いるだけで、年間では許容限度の1ミリシーベルトを超える線量でした。
学校は、表面の土を入れ替え、その結果、0,1ミリシーベルトに減少しました。
しかし、この対策だけで、本当に子どもたちを外に出していいのか、教師たちは悩んでいました。
少しでも浴びる放射線を減らしたい保護者から、理解を得られるのか、わからなかったからです。


教師「いろいろ差が出てきますよね。こういう風にできますと言っても、いや、うちでは…ってなってくるとこもありますし、そこも難しいですよね。」
教師「やんないよりも、低くなっているけど…
どれだけ保護者の人がね、安心できるのかなってことです…」


学校に出来たのは、あくまで、子供が校舎や校庭で浴びる線量を減らすことだけです。
学校の外での生活を含めて試算すると、年間3.3ミリシーベルト。
許容限度を大きく超えてしまうという厳しい現実があるのです。


【渡利小学校 高橋友憲 校長】

「本来の、あの、学校の教育活動に戻していく、そのために、やっていただいたわけだから、そのすじはあるんですけど、
どこで判断するかは、慎重に、これから検討していく必要があるかなと思います。」


学校が示した、校庭の使用再開についての方針です。
まずは、休み時間だけ校庭を開放、外で遊ばせるかはどうかの判断は、それぞれの家庭に委ねるというものでした。

判断を迫られた家庭、学校の方針をどう受けとめたのでしょうか。

3人の子どもを小学校に通わせている、横山忍さんです。
横山さんは、子どもたちが学校から帰っても、放射線を避けるために、外では遊ばせません。
地元産にこだわっていた野菜も、今は、西日本から取り寄せています。
洗濯物は部屋の中で干す毎日です。
子どもたちが浴びる放射線を、少しでも減らそうとすると、教室よりも線量の高い校庭には出せないといいます。


横山忍さん「被ばくを、できるだけしないようにするのがベストなんですけども、いくら線量が低くなったとはいえ、ん~、やっぱり、心配ですよね…」


保護者が強い不安を持つ背景には、学校の外の汚染が手つかずのまま、放置されている現状があります。
学校は、通学路の調査にのりだしました。


教師「1.4ぐらいですね。はい。」


次々と高い値が記録されて行きます。


教師「けっこう高いです。2.62。なんで高いんだろう。」


いずれの場所も、病院などにある放射線管理区域に相当する線量です。
放射線管理区域では、立ち入るすべての被ばく線量を、専門家が計測・管理することが、法律で定められています。
しかし、ここでは、専門家ではない学校の教師が、地域の線量を測るのが精一杯です。
通学路沿いの植え込みが高いと分かっても、学校が管理する場所ではないため、取り除くのは難しいといいます。


高橋校長「学校としては、その、通学路については、今度は、校地内ではないので、これは簡単にはいかないんじゃないかなと…
ですから、出来るだけ、そういう危険なものには近づかないという指導しかない、ということで…
これもちょっと苦しいですよね。」


5年生の佐藤貫太くんです。
自宅は、地域の中でも線量の高い場所にあります。


佐藤晃子さん「今、0.95(マイクロシーベルト毎時)です。
この地域に住んでる以上は、もう、(年間)6ミリ(シーベルト)は確実に超える…」


年間ミリシーベルトは、許容限度の6倍。
一家は、福島を離れることも考えました。
しかし、仕事の都合で果たせず、ストレスを抱かえながら暮らしています。


佐藤晃子さん「行った先での生活の問題とか、ま、仕事イコール生活費ですけど、それをどうするんだとか、という事を考えると、やっぱり、動けないですよね。
本当に、ここに住み続ける以上は、まあ、よりマシっていう選択をしながら、生き続けなくちゃいけないっていう、もう、ジレンマですよね。」


外で遊べないストレスを我慢させ続けるのか、ここで暮らす以上避けられないリスクと割り切るのか、保護者たちは、十分な知識も情報も無い中で、決断を迫られています。

校庭使用再開の日。

「今日から、いよいよ休み時間に、外で遊べるようになりました。」


「外に出れるんだぞ…」
「久しぶりだー」
「おぉ、やったー」


待ちに待った、3ヶ月ぶりの校庭です。
この日の最高気温は30度。
放射線対策の為、皆、長袖・長ズボンにマスクです。
それぞれの家庭に委ねられた校庭使用の判断。

結果として、全校児童の6割が教室にとどまりました。
誰が子どもたちを放射線から守るのか。
保護者と学校に責任が押し付けられたまま、4ヶ月を迎えようとしています。


【キャスター 岩本裕】

「少しでも、我が子が浴びる放射線を減らしたいという保護者の思いは切実です。
校庭の土の入れ替えに踏み切ったのは、小学校だけでも福島県内で、およそ200校。
教師が、保護者が、そして、子どもたち自身が、不安の中に置かれています。
地域全体の放射線を減らすための対策が、早急に必要なのです。

放射能汚染を示した、この地図。
ご覧いただくと、100キロを超えたエリアは白紙だということがわかると思います。
つまり、100キロ圏外では、国の本格的な調査が行われていないのです。
今、東京や千葉、埼玉など首都圏を中心に、住民や自治体が、身の回りの放射線量を測定し始めています。

その中で、放射線の高い場所が、いくつも見つかっています。
飛び地のように現れるこうした場所は、”ホットスポット”と呼ばれています。
原発から離れていても、自分の住む地域は、放射ので汚染された”ホットスポット”ではないか。
そうした不安をかかえる人たちは、少なくありません。

”ホットスポット”は、どこに、どのように生まれるのか。
専門家の協力を得て、調査しました。


【東京 世田谷】

原発から200キロ以上離れた、東京世田谷区。
ここに、大量の放射性物質が飛来した痕跡が残されていました。

【産業技術研究センター】

都が設置した放射線の測定所で、3月15日、異常な値が記録されていたのです。

空気中の放射線量を示すグラフです。
突然、数値が上昇し始めたのは、朝9時のことでした。


「振り切れてますね。」


普段は検出されない放射性物質セシウム137が、大量に検出されたのです。


「最初はうそじゃ…うそじゃないかと思いましたね。
えぇ、現実ではないというふうな感じだった。」

しかし、数時間後、急激に上がったセシウムの値は低下し、次の日以降は検出されなくなりました。

セシウムは、”放射性プルーム”と呼ばれる雲のような状態で上空を漂います。
プルームは、東京上空に到達したものの、ほとんど降り積もることなく、通過したと見られています。

東京で、一瞬だけ計測された放射性物質。
それは、いったいどこに向かい、どこにホットスポットを作ったのか。
その謎を解く手掛かりがありました。
地球レベルの環境汚染を監視している、国立環境研究所です。

【地球環境研究センター 大原利眞 センター長】

大気汚染のシミュレーションの専門家・大原利眞(としまさ)さんは、原発から最も多くの放射性物質が放出された3月15日のデータを分析しています。

「セシウム137も、15日に非常に大きかったって事が言えますね。
かなりの量の放射線物質が放出されていたと…」


この日、福島第一原発では、2号機で原子炉格納容器の一部が破損したと見られ、4号機でも原子炉建屋で爆発が起きていました。

大原さんは、原発から出たセシウムの量と風向きを計算し、どのように拡散したのかシミュレーションを作成しました。
3月15日の、セシウムを含んだ”放射性プルーム”の動きです。
当初、太平洋の上空を流れていたプルームは、風向きが変わるにつれ、関東へ広がります。
9時頃には、静岡に到達。
上空をただようプルームは、東京を完全に包み込んでいます。
昼過ぎから、赤色で示された高い濃度のプルームが北へ流れ始めます。
その後、福島から栃木、群馬にかけて、帯状になって漂っていたのです。

大気中のセシウムは、雨や雪が降ると地面に落とされ、その場所を汚染します。
プルームのシミュレーションと、この時の雨のデータを重ね合わせてみます。
プルームが漂う関東一帯に雨が降っています。
オレンジ色の四角は、周りより強い雨が降った場所です。
栃木県北部、原発から110キロ離れた、この一帯にホットスポットが存在する可能性が、浮かび上がってきたのです。

私たちは、シミュレーションを手掛かりに、専門家と共に調査をすることにしました。


【元日本原子力研究所 森内茂 博士】

協力を仰いだのは、森内茂(しげる)博士。
かつて、チェルノブイリでヘリコプターによる汚染調査を行なった経験があります。


【広島大学 原爆放射線医科学研究所 星正治 教授】

放射線の影響を研究する、広島大学の星正治(ほし・まさはる)教授。



【慶応大学 古谷知之 准教授】

データの分析は、慶応大学の古谷知之(ふるたに・ともゆき)准教授です。

最新の測定器をヘリコプターに載せ、上空から地表の放射線量を計測します。
向かったのは、原発から110キロ、栃木県北部・那須塩原市の上空です。


「突然、線量が高くなってきた、気がする。」
「どうでしょうかね。」
「そうですね。この辺は高い。」


調査したのは、およそ900平方キロメートルの広さ、見えないホットスポットの形を浮かび上がらせるために、1キロ間隔で飛行していきます。


「あの辺の範囲が、高い線量が出たところですね。
これは地上のデータに直すと、かなり高いのではないかと思われます。」


次々と、平常時の20倍の線量が記録されていきます。
4日間かけて行なわれた調査で、汚染の実態がわかってきました。

直径数百メートルの大きさのホットスポットが点在しています。
赤色の部分が、1時間当たり1マイクロシーベルト以上。
最も高い場所は、福島市と同じレベルの線量です。
仮に、1年間、この場所で生活すると、年間5ミリシーベルト以上。平常時の5倍被ばくすることになります。

原発から110キロ離れた場所で、気づかれないまま放置されていたホットスポット。



【近畿大学 山崎秀夫 教授】

「検出されました。」
「ちょっと上がっていますね。」


人々の暮らしにどんな影響があるのか、近畿大学の山崎秀夫教授に、現地の土壌を調査してもらいました。


「あ、こんにちは」
「こんにちは」
「どうも、こんにちは。
できたら、ちょっと泥を採らせていただいて、調査させていただきたいなと…」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願い致します。」

「…(不明)…、0.94(マイクロシーベルト毎時)くらいですね。」
「1くらい…」


一帯は、農業の盛んな地域。
農地を中心に土壌を採取しました。


農家の人「やっぱり、心配になっちゃう。」


2週間後、分析の結果がまとまりました。


「じゃあ、皆さん、お忙しいのに集まっていただいて、ありがとうございます。」


農家や、牧場の経営者、小さな子どもをかかえる親が、集まりました。

江連(えずれ)美代子さんです。
家庭菜園で、さつまいもやナスを作っています。

調査の結果、江連さん畑の土に含まれているセシウムは、1700べクレル以上。
農作物の種類によっては、国の基準を超える可能性の値です。


「いやー、なんぼでも、心臓バクバクしちゃいますよ。こんな数値もらっちゃたら。
もう、おっかなくなっちゃった。」


事故から4ヶ月。住民は汚染を知らずに暮らし続けてきました。
プルームと雨に着目していれば、もっと早く対策が打てたはず。
専門家は、そう指摘します。


【広島大学 星正治 教授】

「自分たちが住んでるところが、どれだけの汚染があるか、ということを正しく知るというのが大事なことであると。それが必要な事ですね。
まず、計算(シミュレーション)であり、それから、いってますように、広域の測定であり、その次にスポット、スポットの精密調査であると。
そして、まだされていない、もっと広域のですね、100キロ、200キロ、300キロの調査というは、今後、必要であるというのを、私自身は個人的に、言っていきたいと思っています。」


放射性物質が、大量に放出された6日後、3月21日、再び、薄いプルームが関東地方を覆いました。
この日、雨は関東全域で降っています。
今、首都圏各地で見つかる、比較的、放射線量が高い場所は、この時、出来たと考えられているのです。
シミュレーションは、広域調査の必要性を訴えています。


【キャスター】

「プルームという雲のような形で運ばれ、大地を汚染する放射性物質。
しかし、遠く離れた場所で、土がほとんど汚染されていないにもかかわらず、影響がでている農産物がありました。
お茶です。
原発から300キロ前後も離れた神奈川県や静岡県のお茶から、基準を超える放射性物質が
検出され、大きな不安が広がりました。
なぜ、お茶は影響を受けたのか。
見えてきたのは、植物に放射能汚染を引き起こす、もう一つのメカニズムでした。」


神奈川県では10の市町村で、お茶から基準値を超える放射性物質が検出されました。

お茶農家を営む、城所明俊(きどころ・あきとし)さんです。
例年なら2番茶の収穫時期ですが、今年は出荷を断念し、全ての葉を刈り落としています。
放射性物質を取り除くためです。

福島第一原発から250キロ。
放射性物質の検出は、お茶農家にとって予想外の出来事でした。


「まさか、ここにいて、出るとはね、思っていなかった。
本当にね、1年間、丹精してね、作ってきたものを…」


基準値を超えた事に驚いたのは、検査を行なった神奈川県も同じでした。
原発事故以降、県では、国のガイドラインに従って、野菜の検査を行なってきました。
その結果、全て基準値を下回っていました。
当時、検査の対象外だった、お茶を自主的に調べたのも、安全であることを示すためでした。
想定外の結果に、今、神奈川県の新茶の出荷は、全て停止しています。


【神奈川県農政部 菊池雅美 農業振興課長】

「非常に、まぁ、驚いていると。
また、あの、どういう、その、メカニズムで、こうやって、こうした形で出てしまったのかということで、非常に不思議な、というふうに考えています。」


なぜ、お茶は基準値を超えたのか。
汚染が見つかったお茶の木を、実際に調べてみることにしました。


【学習院大学 理学部 村松康行 教授】

放射性物質の植物への影響を研究している、村松康行さんです。
お茶の葉、根、土に分けて、どれだけ放射性物質が含まれているか、特殊な方法で見てみます。


浮びあがった光は、セシウムが放つ放射線。
([撮影] 首都大学東京 健康福祉学部 福士政広 教授)
土(18ベクレル/kg)や根(40ベクレル/kg)にはほとんどありません。
セシウムは、葉にだけ多く蓄積している事が分かったのです。(1180ベクレル/kg)

村松さんは、細かく密集しているお茶の葉の特徴が、大きく関わっていると考えています。

事故直後、神奈川県の上空にも到達していたとみられる放射性物質。
雨は降らなかった為、土壌はほとんど汚染されませんでしたが、細かく密集したお茶の葉が、飛んできたセシウムをからめとりました。
お茶は、新芽が成長する時、古い葉から栄養を送り込みます。
古い葉がからめとったセシウムが、栄養と一緒に新芽に送られ、その結果、お茶は基準値を超えたと考えられるのです。

放射性物質を取り込みやすいのは、お茶だけではありません。
チェルノブイリ原発事故後の調査では、きのこや牧草、ベリーも同じような特徴があると報告されています。


【学習院大学 理学部 村松康行 教授】

「お茶に代表されるようなものというのは、他もあるかも知れません。
非常に遠くまでを、むやみに沢山調べる必要はないと思いますけれども、いくつかの、一時期、または、濃度が高く出る可能性がある地域というのは、もっときめ細かく調べていくというのは必要になると思います。」


【茨木県ひたちなか市 茨木県環境放射線監視センター】

食品検査の現場では、こうした農産物が新たに見つかったときに、充分チェックできるのでしょうか、全国でも検査体制が充実している茨木県。
今、検査の依頼が殺到しています。
持ち込まれるのは、農産物以外にも、牧草、土、魚など、多岐にわたります。


女性職員「で、こちらは水道水です。」


4台の装置を24時間体制で使い、検査を行なってきました。
それでも、農産物にさける時間は限られ、検査できるのは、週に平均10サンプル程度です。
新たな品目に対応するのは難しいのが現状です。


【茨木県農林水産部 中野一正 次長】

「本当はね、全品検査が…
消費者の人が安心するなら、やりたいっていうのがあるんですけれども、
正直いってキャパシティ(検査能力)の問題もあって、それは出来ない。」



浮き彫りになった食品検査の限界。
国は、この現状をどう考えているのでしょうか。

【大塚耕平 厚生労働副大臣】

「全品検査できる訳じゃないんですね。サンプリングですから。
まあ、そういうふうに考えると、規制値を超えたものが、まったく流通していないということを、残念ながら、その~、我々も確信ができる状況にはありません。
今後に向けて、より的確に、より早いタイミングで、検査の方針や体制を変えていったり、レベルアップしていくという必要性についての、教訓だったと思いますね。」


放射性物質を取り込みやすい農産物は、他にないのか。
研究者の村松さんは、東北や関東をまわり、調査を始めています。
日本では、そうした農産物の実態は、十分に分っていません。
これから秋にかけて、農産物の収穫が盛んになります。
村松さんは、調査を急ぐ必要があるといいます。


【学習院大学 理学部 村松康行 教授】

「出来るだけ、あの~、放射性物質を農作物へ…、出来るだけ移行しないような対策なり、技術というのは、あの、発展させていって…
で、もう一方では、そういうものから得た知識で、検査体制をもっと効率いいものにしていくと…
放射性セシウムが、常に多い状況が続いています。
これはそんなに直ぐに減るものではありませんので、これは、生産者のほうも、また消費者も、それと付き合っていかなくてはいけないという時代になってきています。」



【キャスター】

「どんな農産物が、どのような形で汚染を受けるのか。
その影響については、まだほとんど明らかになっていません。
汚染が確認されたお茶については、検査が重点的に行われるようになったということです。
しかし、食の安全を確保するためには、他にどんな作物が影響を受けるのか。
それを明らかにする研究を急ぐ必要があるのです。

経験したことがない深刻な放射能汚染。
ここまでご覧いただいたように、各地で汚染のレベルに応じた様々な問題を引き起こしています。

汚染された大地を、元に戻すことが出来るのか。
放射性物質が身近にある現実と、どう向き合っていくのか。
各地に広がるホットスポットも把握しきれていません。
対応の遅れる日本という国で、私たちに必要なものは何なのか。

それを考える手掛かりが、25年前に起きたチェルノブイリ原発事故です。
放出した放射性物質は福島より多く、今も周辺に深刻な影響を及ぼしています。

チェルノブイリ原発から50キロ、汚染との闘いが続くベラルーシ南部の村を取材しました。」



チェルノブイリ原発事故で汚染にみまわれた、ストレリチェボ村です。
ベラルーシ政府による、手厚い放射線対策のもと、およそ900人が暮らしています。

事故直後、放射線量は年間20ミリシーベルトを超えていました。
この為、政府は、道路を水で洗い、土壌を入れ替える対策を取ってきました。

それから25年。
年間の線量は、1.8ミリシーベルトに下がったものの、いまだ許容限度の1ミリシーベルトを超えています。


【ユーリー・シャランコさん(29)】

シャランコさん一家です。
夫婦と3人の子どもで暮らしています。

妻のマルタさんは、今も、放射線への不安が消えないといいます。

【妻 マルタさん(25)】

「もちろん不安はあります。
でも、住み慣れた村を離れたくありません。
村の人たちは、みんな家族同然ですから。」


ここでも、一番の心配は食の安全です。
その不安を、いかに解消しているのでしょうか。
近所の農家から貰った野菜と牛乳です。
それを持って、マルタさんは、ある場所に出かけました。
向かったのは、村の学校です。


「放射線の検査をお願いします。」
「もちろんです。どうぞ。」


ベラルーシ政府は、汚染地域にあるほぼ全ての学校に放射線の測定器を配置。
物理の教師に訓練を受けさせ、無料で検査をする体制を作りました。
身近にある施設で、住民自らが検査に立ち会うことで、不安を解消しようというのです。


「25.72ベクレル。安全基準値の4分の1です。
この牛乳は、安心して飲むことができます。」
「ありがとうごさいました。心配でしたが、ほっとしました。」


さらに、市場に出回る食品についても、検査体制の充実が図られてきました。
今では、全国500を超える施設で、牛乳や肉類、野菜など、1日平均3万を超えるサンプルが検査されています。


ユーリーさん「放射線は、目には見えませんから、食べ物には気を使っています。
きのこやベリーを避けて、検査された牛乳や肉を食べています。
安全に暮らす方法があるから、ここで住んでいけるんです。」


【国家チェルノブイリ対策委員会】

こうした対策が可能になった背景には、国の強いリーダーシップがありました。
汚染地域の復興を進めるため、省庁を横断する組織、国家チェルノブイリ対策委員会を設置。
その国家プログラムに充てられる資金は、国の予算の2割にのぼります。
住民の健康管理から、地元経済の立て直しまで、様々な対策を行う権限が与えられています。


【国家チェルノブイリ対策委員会 リシューク 副局長】

「地域の人たちが、働いて健康に生活するという当たり前のことを可能にするだけでも、あらゆる労力と資源を集中しなくてはなりません。」


長年対策を行なってきたベラルーシ政府にとっても、最大の課題は子どもの健康です。
放射線と隣り合って暮らす子どもの安全を、いかに守るのか。
体内にある放射性物質を測る特殊な装置を、町や村の診療所に設置し、全ての子どもの検査を、定期的に行なっています。


「体重1キロ当たり5.3ベクレル。
非常に低いので大丈夫です。」


こうした検査だけでなく治療も、将来に渡って、無料で受けることが出来ます。


マルタさん「子どもの健康は、親の力だけでは、守ることが出来ません。
ありがたい制度です。」


しかし、事故から25年が経った今でも、新たな問題が起きています。
村の中に数多く残されている汚染されたままの建物。
そこから放射能物質が風に飛ばされ、再び汚染を引き起こしているのです。
政府は、今、急ピッチで撤去作業に取り掛かっています。
しかし、作業員の被ばく線量を細かく管理しなくてはならない為、思うように進みません。
残る建物は1万棟。
いつ撤去が終わるのか、目処は立っていません。


【国営解体企業 社長】

「放射線との闘いには、忍耐と努力、そして財源が必要です。
25年がたっても、重い荷を背負い続けなければならないのです。」


【キャスター】

「身近な場所に設置された、食品の汚染や身体の内部被ばくを調べる装置。
事故から25年たった今も、ベラルーシ政府は総力を挙げて住民の不安を解消しようと取り組んでいました。
放射能汚染と闘うという強い意志。
今の日本政府から感じられないものが、いかに重要なのか。
ベラルーシの取材を通して、見えてきました。

原子力発電という選択をした私たちの社会が、意識することがなかった、あまりにも巨大なリスク。
後戻りできない現実を前にしても、出来ることは沢山あるはずです。

原発事故から4ヶ月。
放射能汚染との長い闘いは、まだ始まったばかりなのです。」


NHKスペシャル
シリーズ原発危機 第2回
広がる放射能汚染


語り 柴田祐規子アナウンサー


制作・著作
NHK







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